makiのきまぐれブログ

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小野不由美 黄昏の岸 暁の天 (十二国記8)

背表紙には

「王と麒麟が還らぬ国。その命運は!?」とあり

そして前作華胥の幽夢のあとがきで、「短編「冬栄」の裏側では恐ろしい事態が進行しており」とある。

さらに18年ぶりに発売された新刊には、「戴国に麒麟が戻る。」とある。

「月の影影の海」では「泰麒は成獣でなかった?」「そう」「過去形?」

と暗い話題にされながら、

でも泰麒が王を選んだ「風の海迷宮の岸」そして、前出「短編冬栄」では、

泰麒のかわいらしさ、そして戴国の新しい未来を予感する明るい物語だった。

果たして戴で、何が起こったのか。。。

もちろんそれが語られる物語だと思っていた。

 

小野不由美 黄昏の岸 暁の天

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確かにそうだった。でも、それは現代目線でなく、

妖魔がはびこる戴から金波宮、陽子のもとに助けを求めにやってきた

将軍李斉。の目線で語られる。。。。

李斎。。。王の選定の時に、泰麒が仲良くなったおなじみの人物。

彼女の泰麒に対する目線は、読者の私の目線とよく似ている。

幼いかわいい子、泰麒。

 

でも、彼は、成獣となって戻ってくる。角をなくし屍臭をただよわせ。。。

 

その泰麒を探すにあたり、この物語の十二国そして、天とのかかわりが

法の目の抜け穴を探して悪い事をする、現在に通じるものがあってなんだか

世知辛い。それはだめだ。でもそうとは書いてないからそれはOK。だとか。

覿面の罪に対する解釈が、なんとも言えない。。。

尚隆と六太がかつて、ちょっといろいろ試してみたってところは面白いけど。。

(そういえば、慶子が、尚隆を、脅す(!?)場面も面白い!!)

 

前作で、泰麒が

「王も麒麟も、たった十二人ずつしかいないんだから、仲良くすればいいのにね」

そういった言葉が、彼の救出にあたり、半ば実現する様もある種で楽しい。

 

祥瓊、鈴、虎嘯たち、「風の海~」で活躍した友(?)たちが王宮内で

しっかりと陽子を助けて、生き生きとしている姿を見るのもまた楽しい。

 

なんだかんだと言いながら、今までの作品が、決してただそれだけの物語じゃない。

しっかりと、つながっていく作者の手腕にも脱帽する。

 

この「黄昏の岸~」1作に限っても、

李斎が、ズタボロになって金波宮にやってきたときに対応した兵卒が

彼女がまた、金波宮を去る際にやり取りを交わす。この場面がとても印象的だ。

 

 

そしてこの作者は、この物語を、ただの冒険もの、ファンタジーというだけには

していない。

 

陽子が後半襲われた際に

 -こんなものか、という気がした

 誰もがその行為、その言動から他社の内実を推し量るしかないのだし、こうに違いないという評価が決すれば、その評価だけが独り歩きを始める。すでに確信を抱いている者、確信を疑う気のない者に何を訴えても届くとは思えない。

そんな思いを抱く。まさに、そういうものなのだ。

 

でもそんなあきらめに対し、

結局のところ、その人物の為人の問題でございますよ。そしてそれは、その者がいかに振る舞い、生きているかにかかっているのです。常にそれを問われている。必ず誰かが見ているのですから。そして信ずるに足る物であれば、喜んでその行為に報います。

そう、そう説く部下がいる。まさにその通り。結局は自分に返ってくる。

 

そして、物語の中でも、李斎がそうやって、恵王を動かし、西王母をも。。。

 

自分にはわりと甘く、そして他人の悪いところばかりを愚痴ったり攻め立てたり。

最近の自分を責められているようなこのくだりは、見事に私をみじめな気分にさせた。

その通りなんだよね~(+_+)って。。。

 

 

でも、こんな人たちで国の立て直しを図る慶国。

600年、500年の治世を重ねる、宗や雁のようになれるといいなと思う。

 

 

そして。。。とても彼をかわいがってた六太と景気をもちかづくのをためらわせた

「圧倒的な屍臭」をただよわせた泰麒。

どんな形で、戴国に戻り「白銀の墟 玄の月」の表紙のような姿を見せるのか。

その物語に進みたいのはやまやまだけれども、その蓬莱での物語「魔性の子」を

飛ばし読みすることは、やはりできそうにない( 一一)

 

まだ、先は、長いなぁ。。。。